大判例

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京都地方裁判所 昭和58年(行ウ)15号 判決

原告

亡星野竹之進承継人

星野満喜子

原告

亡星野竹之進承継人

星野泰享

原告

亡星野竹之進承継人

前出松子

右三名訴訟代理人弁護士

佐藤克昭

村松いづみ

竹下義樹

被告

地方公務員災害補償基金京都市支部長

田邊朋之

右訴訟代理人弁護士

千保一広

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  請求の趣旨

(一) 被告が、原告らの被承継人亡星野竹之進に対し、昭和五四年七月二五日付けでした公務外認定処分を取り消す。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

2  請求の趣旨訂正の申立とその撤回

原告は当初右(一)項を「亡同人に対する同日付けの遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分を取り消す。」との趣旨に訂正することを申し立てたが、その後、これを撤回した。

二  被告

1  請求の趣旨訂正・撤回に対する異議

被告は原告の請求の趣旨の訂正、その撤回につきいずれも異議を述べ、まず訂正後の請求の趣旨に対して答弁した。

2  訂正後の請求の趣旨に対する答弁

(一) 本案前の答弁

(1) 原告らの「被告が、原告らの被承継人亡星野竹之進に対し、昭和五四年七月二五日付けでした地方公務員災害補償法による遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分を取り消す。」との請求の訴えを却下する。

(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

(二) 本案の答弁

(1) 原告らの右請求を棄却する。

(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

3  訂正前の請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  原告ら(請求原因)

(一)  星野竹男の死亡等

星野竹男(以下「竹男」という)は、京都市消防局下京消防署に勤務する消防職員であったが、昭和五四年一月一六日午後六時三〇分ころ、体力錬成計画に基づく訓練に参加中、脳動脈瘤破裂により意識不明となり、同月二〇日午前一時四七分死亡した(以下「本件災害」という)。

(二)  公務災害認定請求手続等

竹男の父である星野竹之進(以下「竹之進」という)は、被告に対し、昭和五四年一月一九日付けで本件災害について公務災害認定請求をしたが、被告は、同年七月二五日付けで公務外認定処分(以下「本件処分」という)をした。

竹之進は、本件処分を不服として、昭和五四年九月二五日付けで地方公務員災害補償基金京都市支部審査会に審査請求をしたが、同支部審査会は、昭和五六年三月一一日付けで審査請求を棄却する裁決をしたので、竹之進は、更にこの裁決を不服として、同年四月六日付けで地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求したが、同審査会は、昭和五八年一月二六日付けで再審査請求を棄却する裁決をした。

(三)  本件災害の公務起因性

しかしながら、竹男の死因は脳動脈瘤破裂であり、竹男に脳動脈瘤の素因ないし基礎疾病があったとしても、その形成、増悪は竹男の消防士としての激務が、潜在的に影響しており、また、以下のとおり、竹男の従事した職務が過重であったことが生理的条件に悪影響を与えて脳動脈瘤破裂の潜在的要因となり、体力錬成計画に基づく訓練の駆け足が直接の契機となって竹男は脳動脈瘤破裂を発症し死亡したものであるから、本件災害(疾病、死亡)は公務に起因するものである。

(1) 竹男の経歴

竹男は、昭和二八年四月一日生で、昭和五〇年四月一日京都市消防士に採用されて京都市消防学校に入学し、同年七月二九日同学校を卒業し、同日ころ京都市下京消防署勤務となり、同年八月八日同署警防課警備第一係(見習い勤務員として警備業務の実務研修)、同年八月二九日同係第一小隊員(消防隊員として災害防禦活動等に従事)、昭和五一年七月二六日同係第一小隊員(防火対象物査察員と消防隊員を兼任)、同年一〇月一日同課警備第二係第一小隊員(右同)となり、昭和五〇年八月八日以降、予防専科教育期間の昭和五一年七月五日ないし八日を除き、一日二四時間隔日勤務者として主に災害現場活動に従事した。

(2) 竹男の従事した職務

竹男の従事した消防職員の職務は以下のとおり過重なものであった。

① 過酷な消防業務

消防業務は、「火災を予防し、警戒し及び鎮圧し、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、火災又は地震等の災害に因る被害を軽減し、もって安寧秩序を保持し、社会公共の福祉の増進に資することを目的とする」(消防法一条)ため、日常業務は「二四時間隔日・拘束勤務」という勤務形態をとっている。この勤務形態自体が、人間の生活リズムからすれば極めて反生理的な人間の健康に重大な悪影響を及ぼすものである上、日々の訓練業務は現実の火災を想定しての体力作りや行動訓練であり、いつ発生するかもしれない火災に瞬時に対応できるよう予定されており、また、一旦火災が発生すれば、非番か否か、仮眠時間中であるか否か等の日常業務のサイクルとは全く無関係に出動し、現場では自分の持てる極限以上の力を出して消火活動にあたるものである。

そして、冬期における消火活動は、厳寒の中、全身ずぶ濡れになって行なうものであり、体力を大幅に消耗させる過酷なものであるが、更に消火活動を終えて署に帰った後も、次の出動に備えて、着替え、入浴に優先してホースの積み替え等の作業が要請され、一時間以上にわたってずぶ濡れのままでその作業を行なうなど特に過酷なものである。

以上のとおり、消防業務は、その労働の質・量からみて極めて過酷な業務である。

② 二四時間拘束勤務

消防は、常に災害発生に備え、二四時間、昼夜を問わず、迅速、正確に対応できる体制が不可欠であり、消防職員の勤務は二四時間拘束勤務体制がとられている。

この二四時間拘束勤務において、職員は、朝八時三〇分の始業時より翌朝八時三〇分まで、災害出動に備え、完全に当局の指揮命令管理下に置かれ、勤務時間とされる一六時間はもちろん、休息・休憩時間であれ、仮眠時間であれ、職員の自由にならず、常に「待機」の状態に置かれている。従って、休息・休憩時間あるいは仮眠時間とはいっても、労働から完全に解放されて心身を休める機能は果たしていない。

しかも、勤務中は、市内で発生、通報のあったすべての内容が署内全館に放送される体制となっており、職員は常にその放送に注意を払うことが求められ、通報連絡の音が入るたびに、体と心が反応し緊張することを強いられる。特に、下京消防署においては、救急関係の情報も通報される体制となっており、実際には、非常に頻繁に通報連絡が放送されることにより、署内に勤務する限り過度の緊張状態が続くことになる。また、火災に関する通報連絡も、実際に出動するもののほか、誤報等も含めてすべて通報されるので、実際に記録される火災発生件数の何十倍もの連絡が署内に放送され、その度に職員は緊張を強いられる。

③ 二四時間隔日勤務

消防業務のうち、警防業務及び救急業務については二四時間隔日勤務となっている。

隔日勤務者の勤務形態は、朝八時三〇分から翌朝八時三〇分までの二四時間が当番、翌朝八時三〇分から翌々朝八時三〇分までの二四時間が非番で、当番・非番(これを「一当務」という)を繰り返し、五当務して二日の公休(便宜「五当務二休日」という)が基本となっている。

そして、夜間勤務における仮眠は名ばかりのものである。

隔日勤務者に対しては、午後一〇時から翌午前七時までの夜間勤務のうち七時間が形式的には仮眠時間となっているが、二時間の望楼・受付業務が途中に入り、仮眠が分断されることもしばしばである。しかも、仮眠中とはいえ、前記の署内放送が全館に流され、放送の度ごとにその内容を確認することが要求される。そのうえ、その連絡が自己の署内であれば当然起きて対応し、自己の署に隣接した区域での火災発生であれば、火勢の拡大により当然出動が要請されることとなるため、起きて準備し消化栓の位置や道路状況の確認等をして対応することが要請されるが、こうした連絡によって出動準備をしたが結果として出動しなかった場合が実際に出動した回数より多いのが現状である。したがって、業務に忠実であればあるほど、また勤務のコツを覚えるに至らない勤務年数の少ないものほど、仮眠とは名ばかりの夜勤体制を遂行せざるを得ない。

④ 交替勤務の反生理性

以上の交替勤務がその職務に就く職員の体に著しい負担の増大をもたらすことは明らかである。

人間のからだには、ほぼ二四時間を周期として繰り返されるサーカディアンリズムと呼ばれる活動と休息との波動現象があり、昼間は活動に適し夜は休息に適するように自動的に調整されているので、夜勤はからだが休息相に入ろうとしているのに意識的努力によって働くことを強制することとなり、人間の本来あるべき姿に反する反生理性を持っているために、大脳をはじめとするからだ全身に無理を来たし、同じ労働によっても昼間よりはるかに大きな疲労を引き起こすこととなる。

しかも、現在では、馴れによって緊張度が緩和されるとの学説を主張するものはなく、人間は本来的に夜勤に対して完全な適応はなしえないというのが定説になっている。更に、日曜日が休日でない等のずれもストレスを増大させる結果となっている。

(3) 竹男の過重な勤務

以上のように、竹男の従事した消防職員の職務はそれ自体過重なものであったが、竹男は、以下のとおり他の同僚職員と比較しても更に過重な業務に従事した。

① 極めて例外的な連続当務

竹男は、発症の前年である昭和五三年度には、三月に連続六当務、四月に連続八当務、六月に連続七当務、一二月に連続六当務と基本の五当務を超えた極めて例外的な異常な連続当務があった。

五当務二休日の基本的な勤務でさえ人間の生理機能に反するものであるのに、竹男はそれ以上の当務を他の職員と比べて極めて例外的に行なったため強度の疲労の蓄積を来たし、十分な回復を待つことなく身体不調のまま深夜労働を含む交替勤務を続けたため過労状態に陥っていた上、更に年が明けてからも以下のとおり過重な勤務を続けて発症当日に至った。

② 竹男の発症前二週間の業務内容

竹男の発症前二週間の業務内容は、以下のとおり労働量の一層の増加があり、業務の過重性が存在した。

竹男の所属する下京消防署警備第二係第一小隊は、昭和五三年一二月には他の小隊が九ないし一一回の災害出動しかしていないのに比べ、夜間の仮眠時間帯の出動を含め、一か月間に一四回もの多数回の災害出動をした。その上、昭和五四年一月一日以降わずか二週間の間に六回もの出動があり、発症の前には強度の疲労が蓄積されていた。

発症前二週間の仮眠時間も、現実には六時間ずつ(一月二〜三日は五時間五八分)しかなく、しかも、六回の当務のうち四回までが受付、望楼業務のため仮眠が分断されている。

また、昭和五四年一月八日は休憩時間が出火活動のため午後零時二〇分から一時までの四〇分しかなく、削られた二〇分の休憩時間の填補はなされないままであって、これらによる疲労の蓄積が前述の出動による疲労に拍車をかけた。

さらに、発症直前の昭和五四年一月一一日には、前日一〇日午前八時三〇分から一一日午前八時三〇分までが本来の当務であったが、竹男は、一一日は午前六時から仕事を開始し、朝食等休憩を取ることもなく、午前八時三〇分以降も引き続き業務に就き、午前零時三〇分まで実に四時間超過して働き、一一日には極度の疲労に陥っていた。しかも、右超過勤務の理由は、出初式があったからというのであるが、当局側の人員が足らなかったという事情による許すべからざるものである。

以上の経過により、昭和五三年までに過重な業務により蓄積された疲労が、発症前二週間の労働量の一層の増加によって更に増大され、これらによって竹男にもたらされた過労状態は、その後の一月一二日、一三日の公休によっては到底回復するはずのないものであって、過重な勤務が、発症前二週間の様々な事態と相乗作用を起こして、竹男の疲労を極限まで増大させていた。

(4) 竹男の健康状態

消防職員の業務は、深夜を含む二四時間隔日勤務であることから、労働安全衛生規則一三条に該当する身体的有害業務とされ、年二回の定期健康診断が義務付けられている。これを受けて、京都市は独自の準則「京都市消防局安全衛生管理規程」を定め、定期健康診断の実施を義務づけ、健康診断項目を定めている。

しかし、下京消防署が実施していた定期健康診断は、自ら定めた右健康診断項目すら実施していたかどうか疑わしいものであり、竹男の健康状態を把握していたといえるものではなく、とくに血圧に関する検査の未実施ないし未記入は、署の重大な安全配慮義務の懈怠であり、その結果、署は竹男の心身の過労やストレスの蓄積あるいは病理的変化を発見できず、その結果として竹男は施設活用訓練及び体力錬成訓練に参加させられ、発症し死亡するに至った。

なお、竹男の疲労ないしストレスの蓄積により次のとおり健康状態に変化があった。

昭和五〇年秋以後風邪をひきやすくなり、再三にわたり通院治療を受けた。

自ら健康上の変化に気付き自重し始めたか、ストレスの結果として、昭和五二年暮れに禁煙し、昭和五三年ころには飲酒量が減り始めた。

昭和五三年暮れころより自己の健康状態に不安を感じ始め、近々に人間ドックに行きたい旨もらしていた。

昭和五三年七月ころ過労による視力の低下があったので眼鏡を交換した。

昭和五三年秋ころより首、肩のこり、疲労を訴えるようになった。被災前一年ころから担当区域内の消防団員との交際をしなくなり、家でごろごろするようになった。

昭和五三年一二月ころから帰宅時によろけたり、すぐ倒れ込んだりする肉体的疲労が顕著になった。

(5) 発症当日の状況

竹男は、昭和五四年一月一六日京都市右京区内の日本京都映画株式会社京都撮影所において実施された施設活用訓練に参加した。

この訓練は単なる日常の訓練ではなく、来たる三月一五日の消防局の各署錬成競技会を目標にした重点訓練であり、相当激しい訓練であった。竹男は終始、訓練現示要員として、訓練場の吹きさらしの中で身体の暖まるときもなく緊張の連続で過ごした。また、訓練終了後の帰署途中は車に側乗して寒風にさらされ、身体が相当冷やされた。

竹男は、午後五時三三分帰署し、使用機材の点検を五分間行ない午後五時三八分より休憩に入ったが、休憩時間は通常の六〇分より一七分も短い四三分であり、訓練で疲れ切った身体を十分に休めることができなかった。

そして、竹男は、午後六時一五分ころから、下京消防署体力錬成計画に基づき、約五分間準備体操として膝の屈伸、体の前後屈等を行ない、下京消防署の建物の周囲を走行した。

この体力錬成は、個人の自由意思に基づくものではなく、下京消防署体力錬成計画に基づく訓練である。右走行は、当日初めて行なわれたものではないが、通常の二周の五倍である一〇周一八〇〇メートルを走り、しかも最後の一周一八〇メートルを全力疾走した。その直後、竹男は、同署の敷地内で意識を失い倒れた。

なお、竹男は夕食時間を含め、約三〇分後に体力錬成訓練を行なっている。規則で定められている休憩自体が短く十分休息がとれたとは言えない状況であり、しかも食後の血液が内臓に行っているときに走行しており、肉体的に過重を強いることとなった。

下京消防署体力錬成計画表には「実施にあたっては、当務中隊長または中隊副長の具体的指示に基づき行なうものとする」と記載されており、当日は、上司である係長か若しくは中隊長に体力錬成として署の周囲を走る旨報告している。報告を受けた上司は、休憩時間が一時間を経過していないのであるから、一時間休憩してから体力錬成を行なうよう指示すべきであるにもかかわらず、わずか約三〇分の休憩をしたのみで体力錬成をすることを許可している。署は、職員の健康管理義務に違反しているのであり、規則どおり一時間の休憩をとるよう指示していれば、竹男は体を十分に休めることができ、倒れる事態を回避することができた。

さらに、体力錬成訓練を行なうにあたっては、当務中隊長または中隊副長の具体的指示に基づき行なうものとされており、竹男らの行なった準備体操を含め周外を一〇周走る行為をその開始から終了まで監視する義務があるというべきである。監視していれば、竹男の走行状態を監視のうえ、途中で走行を中止させることができたかもしれないし、一緒に走行した広瀬が五周で走行を中止した時点で全体の状況を判断のうえ走行を中止させるべき措置をとるべきであったかもしれない。その意味において、上司が竹男の体力錬成訓練を監視していなかったのは、署の職員に対する安全管理配慮義務の違反である。

竹男はその後、武田病院(京都市下京区木津屋橋通堀川東入油小路町二七七番地)に入院し、翌一七日京都大学医学部附属病院に転院し、脳動脈瘤破裂と診断され受療中であったが同月二〇日午前一時四七分死亡した。

(6) 脳動脈瘤破裂について

脳動脈瘤の形成原因は、先天的な要因により薄弱部が生じ、それが、後天的要因により動脈瘤になると考えられている。

脳動脈瘤は病理学的には、脳動脈の壁が、正常の血管構造を失い、弾性線維、中膜を欠き結合組織によって形成され、内膜は肥厚していることなどから、竹男は血圧の上昇が最も大きな誘因となって脳動脈瘤の破綻が生じたと考えられる。

そして、竹男の血圧の上昇は、①交代制勤務、変則勤務による潜在的な反生理的業務負担の上に、②当日の施設活用重点訓練による精神的、肉体的負担、③帰署の際、車両の外側に乗車する側乗を含む訓練時の寒冷及び④体力錬成のための駆け足などによってもたらされたものである。

(7) 結論

以上のとおり、①竹男の従事した日常の業務が精神的肉体的に負担を生じさせる内容のものであり、これにより竹男は現実に相当な疲労が蓄積され、この十分な回復を待つことなく変則交替勤務を続けたことから極度の過労状態に陥っていたこと、②発症前二週間の業務も過重であったこと、③発症当日の業務が大会を前にしての精神的肉体的に過度の緊張を求められる施設活用訓練に参加し、低い気温の中、吹きざらしの中で業務を行ない、帰署に際しても消防車に側乗することで、更に体に負担をかけたまま、通常の半分に近い四三分に過ぎない休憩時間の後、今まで経験したことのない周外走一〇周を走り、しかも最後の一周一八〇メートルを全力疾走するという普段の業務と比較して過重な負荷を負わせる内容であって、竹男の脳動脈瘤の破裂はこれらの業務による急激な血圧上昇に起因するものであり、当日の状況それ自体がいわゆる災害的出来事に該当するものであること、④竹男が、まさに当日業務としての周外走終了直後に倒れ死亡するに至ったこと、⑤さらに、一般に精神的肉体的疲労が、脳動脈瘤の形成、増悪、くも膜下出血に至る誘因となりうるものと医学上も肯認されてきていること等を総合判断すれば、竹男の業務が経験則上少なくとも竹男の脳動脈瘤の破裂を誘発する有力な原因であったものと認めるべきであり、したがって、竹男の業務と脳動脈瘤破裂による死亡との間には相当因果関係が存在するというべきである。

(四)  竹之進の本訴提起と原告らの訴訟承継

以上のとおり、本件処分は、本件災害が公務に起因する公務災害であるのに公務外と認定した違法なものであるので、竹之進は、被告に対し、本件処分の取消しを求める本件訴訟を提起したが、その後昭和六二年六月一三日死亡し、原告らがその相続人の全部であるので、本件訴訟を承継した。

(五)  結論

よって、原告らは被告に対し、本件処分の取消しを求める。

二  被告

1  訂正後の請求に対する主張

(一) 本案前の主張

訴訟承継前の原告竹之進は、昭和五八年六月一〇日の口頭弁論期日において、請求の趣旨を「被告が、昭和五四年七月二五日付けで竹之進に対してした地方公務員災害補償法による遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分を取り消す。」旨に変更するとの同年五月一〇日付け「請求の趣旨の訂正」と題する書面を陳述し、訴えを公務外認定処分の取消請求から交換的に変更の申立をしたが、その後、これを撤回した。原告らの右変更に異議を述べるとともに、その撤回にも異議を述べた。

被告は竹之進に対して「遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分」をしておらず、右変更後の請求については、本訴の対象である行政処分が存在せず、訴訟要件を欠くから、訴えを不適法として却下すべきである。

(二) 本案の主張

仮に、右変更後の請求において、行政処分の存在が訴訟要件ではないとしても、請求の目的である「遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分」は存在しないのであるから、請求を棄却すべきである。

2  訂正前の請求の請求原因に対する認否、主張

(一) 請求原因に対する認否

(1) 請求原因(一)の事実を認める。

(2) 同(二)の事実を認める。

(3) 同(三)の冒頭の事実中、竹男の死因が脳動脈瘤破裂であって、竹男に脳動脈瘤の素因ないし基礎疾病があったこと、それが公務に起因するものではないことを認め、その余の事実を否認する。

なお、地公災法三一条にいう公務上死亡の意義は、職員が公務に基づく負傷または疾病に起因して死亡した場合をいうのであって、公務と死亡との間に相当因果関係のある場合でなければならない。

本件のように、職員に素因ないし基礎疾病がある場合には、自然的経過により発症増悪することがあり得るから、公務との間に相当因果関係をもって発症増悪したといい得るためには、次のいずれもが明らかな場合でなければならない。

即ち、①基礎疾病の発症ないし増悪前に、特に過激または異常な業務に従事して精神的、肉体的負担を生じた事態(いわゆる業務の過重性)が存在すること。

②これらの事態が、その性質及び程度において、基礎疾病の発症を著しく促進し若しくは症状を甚だしく増悪させまたは死期を著しく早めたと医学概念上認められること。

③これらの事態と疾病の発症、増悪との時間的間隔が、医学常識上妥当な限度内にあること。

(4) 同(三)(1)の事実を認める。

同(三)(2)の①ないし④の事実中、勤務の形式的な態様の概要を認め、職務が過重なものであったとの事実、仮眠時間が名ばかりのものであるとの事実を否認する。

一般的には、隔日勤務は毎日勤務に比べ生理的機能に幾らかの影響はあるであろうが、この勤務形態は消防職員に共通なものであり、竹男に特有のものではない。

また、昭和五三年中において下京消防署の隊員の中に病気欠勤者がいない状況から考えれば、人体に悪影響を及ぼすほどの顕著な作用はないことが明らかである。

同(三)(3)の冒頭の事実を否認する。

同(三)(3)①の事実中、竹男が、昭和五三年度の三月に連続六当務、四月に連続八当務、六月に連続七当務したこと及びこの連続当務が極めて例外的なことであることを認め、その余の事実を否認する。このように連続当務となったのは上司の命ではなく、竹男自身の都合に基づく希望によるものである。

なお、この連続勤務と本件発症との間には少なくとも半年の間隔がある。

同(三)(3)②の事実中、竹男の発症前二週間の仮眠時間、昭和五四年一月一一日四時間の超過勤務があったことを認め、その余の事実を否認する。ただし、仮眠時間については、午前七時まで寝ていたのが実情であり、右超過勤務は、時間帯が昼間であり、業務も軽易なものである。

同(三)(4)の事実を否認する。X線検査のほか、身長、体重、視力、尿検査、一定年令以上の者や希望者に対する血圧測定が行なわれていた。問題のある者には通知されたが、竹男は血圧が高いと指摘されたことはない。なお、原告ら主張の規程は、昭和五六年一二月三日に制定され翌年一月一日から施行されたものである。

原告主張の安全配慮義務違反の事実を否認する。安全配慮義務違反の問題は公務上外の認定とは関係がない。

同(三)(5)の事実中、竹男が、昭和五四年一月一六日施設活用訓練に参加したこと、竹男は終始訓練の現示要員(出火建物の持主、付近住民、通行人等を演じ、消防隊員等への通報、現場への誘導等を行なうことを役割とする者)として過ごしたこと、訓練終了後の帰署途中は車に側乗したこと、竹男が帰署した時刻は午後五時三三分であり、使用機材の点検を五分間行ない午後五時三八分より休憩に入ったが、休憩時間は通常の六〇分より一七分短い四三分であったこと、竹男は、下京消防署体力錬成計画に基づき下京消防署の建物の周囲を走行したこと、右走行は、当日初めて行なわれたものではないが、通常の二周の五倍である一〇周を走ったこと、その直後、竹男は、同署の敷地内で意識を失い倒れ、その後、武田病院(京都市下京区)に入院し、翌一七日京都大学医学部附属病院に転院し、脳動脈瘤破裂と診断され受療中であったが同月二〇日午前一時四七分死亡したことを認め、その余の事実を否認する。

下京消防署体力錬成計画に基づく下京消防署の建物の周囲の走行は、周行回数や速度は一律に強制されたものではなく、各人の身体的条件に応じて行なう弾力的なものであった。通常の二周の五倍である一〇周を走っているのは事実であるが、竹男の自主的判断で行なわれたものであり、竹男に過度の負担をかけたものとはいいがたい。

終点三五メートルの地点で先を走っていた同僚職員が「行くぞ。」と声を掛けてスピードを加えて走ったことはあるが、竹男がこれに応じて加速したか否かは不明である。

同(三)(6)の事実中、脳動脈瘤の形成原因と脳動脈瘤の破裂原因の主張を争う。

脳動脈瘤の形成原因については、一般的には脳動脈壁に先天的な中膜欠損等の異常という素因があり、この素因に高血圧、動脈硬化等の後天的因子が加わって形成されるとされており、外的要素としての精神的、肉体的疲労等は成因として作用しないとされている。

脳動脈瘤破裂の機序も、必ずしも明らかではないが、ロックスレイが調査した二二八八の症例の結果によれば、破裂の機会は睡眠中が三六パーセント、特別の状況というべきものがないときに三二パーセントとなっている。その他の研究は、取扱症例数もロックスレイのそれの一割にも満たないもので、右ロックスレイの研究に到底及ばない。したがって、一過性の血圧上昇、高血圧、精神的、身体的疲労が破裂の誘因となる蓋然性が確認されているとは断定しがたい。

竹男は脳動脈瘤の高度の素因を有していたので、特別の状況がなくても、いつかどこかで破裂する可能性が常にあった。そして、血圧は、特別の事情がなくても変動するものである。したがって、竹男については、施設活用訓練及び駆け足が通常の程度を超えて特に過激、異常なものであったときに限り、その公務起因性が問題となりうるに過ぎない。

ところが、発症当日の施設活用訓練は実施されていないに等しい実態であったし、体力錬成としての駆け足も自己の体調に合わせた速度で終始走ったもので、最後の三〇メートルについても全力疾走をしたとは確認できない。したがって、施設活用訓練及び駆け足が特に過激、異常であったということはできない。

さらに、二四時間隔日勤務形態における日常業務の実態をふまえた上で、当日の具体的業務内容の負担の程度を考えた場合においても、公務起因性は認められないというべきである。

同(三)(7)の竹男の発症の公務起因性の主張を争う。

(5) 同(四)の事実を認める。

三  原告ら

1  請求の趣旨訂正に関する主張に対する反論

原告の「請求の趣旨の訂正」と題する書面は、請求の趣旨記載の公務外認定処分の実質的内容を具体化するためのものであり、被告主張のように公務外認定処分の取消を求める請求の趣旨を撤回し、交換的に変更したものではない。

なお、右請求の趣旨の訂正が訴えの変更の申立てにあたるとしても、原告らは、平成元年六月九日の口頭弁論期日において右申立てを撤回した。

2  被告の主張に対する反論

(一) 公務上外認定基準について

被告が公務上外認定基準として主張するところは、相当因果関係の法的な判断に限定を加えるものである。とりわけ、「医学的に明らかな場合」として、医学的な明白性を要件とするのは、法律判断である因果関係を、医学的判断にすりかえてしまうものである。

さらに、①、③の要件は、「発症直前のアクシデント」の存在を公務起因性の要件にすることにほかならないが、因果関係を考えるに際し、このような災害事実を媒介とすることの根拠はない。

因果関係の認定にあたっては、諸事情の総合的判断によって遂行した公務が基礎疾病と共働して、その発病の原因となっているとの関係が認められれば十分であって、災害の有無とその医学的証明のみに左右されるべきではない。

(二) 脳動脈瘤の発生及び破裂の機序について

被告の脳動脈瘤の発生について主張する見解は既に多くの学者から否定されるに至っている。

「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」の報告書及びこれをもとに作成された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定マニュアル」によれば、「先天的に動脈の中膜及び弾力線維の発育不全、欠損により動脈壁に薄弱部が生じ、動脈圧により突出膨隆して嚢状動脈瘤ができるとする考えが有力である。」とされている。

現在の文献上での脳動脈瘤形成に関する知見をみても、「脳動脈瘤の発生機序には、高血圧症の他に血流動態因子も大きな役割を演じている事を証明している。」、「実験的に脳動脈瘤が誘発できるという事は、ヒトの脳動脈瘤の成因に関して後天的要因の関与を強く示唆するものである。また、脳動脈瘤が実験的にも血管分枝部に発生する事実は、脳血管分枝部がストレスに対して抵抗減弱部位である事を示している。これはまた、血管分枝部が構造力学上、あるいは流体力学上最もストレスを受けやすい部位であるという事でもある。」との見解が述べられている。被告の主張する見解は、二〇年近く以前の医学的知見であり、十分に脳動脈瘤形成のメカニズムが解明されていなかった当時のものである。

脳動脈瘤破裂の機序についての被告の主張は、その根拠となるロックスレイの論文を不正確に理解したところから生じたものであり、また数多くの文献により見直すべきものとされているところのものである。

ロックスレイの論文そのものには、右見解とは全く逆の「精神的肉体的緊張や疲労あるいは一過性の血圧上昇」が、「クモ膜下出血」の発症と高い頻度で関連があることを論じられている。

更に、近時多くの論文では、肉体的、精神的な過度のストレスが、クモ膜下出血等の要因となると論証されている。

第三  証拠〈略〉

理由

第一被告の請求の趣旨訂正に関する主張の判断

被告は、承継前の原告竹之進がした「被告が、竹之進に対し、昭和五四年七月二五日付けでした地方公務員災害補償法による遺族補償及び葬祭補償を支給しない旨の処分を取り消す。」との請求の訂正の申立は訴えの変更にあたる旨主張する。

しかし、承継前の原告竹之進の右請求の趣旨訂正申立の意味は、必ずしも明確でないが、これはその訂正文言上、本件取消訴訟の対象である行政処分を公務外認定処分から遺族補償及び葬祭補償を支給しない処分に変更するもので、訴えの変更にあたるとも解されないではないが、承継前の原告は、これを訂正として申立ており、しかも、請求原因を全く訂正変更していないし、その後、前示のとおり右訂正は公務外認定処分の実質的内容を具体化するためのものであって、訴えの変更をしたものではないと主張しており、これをもって、被告主張のように承継前の原告が訴えを交換的に変更したものとは認めることができないし、仮に、これが訴えの変更にあたるとしても、被告は前示のとおり、これに異議を述べて、訴えの変更に同意せず、裁判所はこれを許可しない間に、原告らは、昭和五八年五月一〇日付け書面をもって訴えの変更の申立にあたるとされる請求の趣旨の訂正を撤回したのであるから、これにより訴えの変更申立は適法に撤回されたものというべきである。

なお、被告は、右撤回に異議を述べるが、そもそも訴えの交換的変更に異議をのべ、これに同意していないのであるから、未だ訴えの変更の効力が発生していないもので、その申立は自由に撤回でき、この撤回に対する被告の異議はそれ自体矛盾した行為であって、訴訟上何らの意味がない。

よって、請求の趣旨訂正後の請求の趣旨に対する被告の主張はいずれも、その前提において失当であって、これを採用することはできない。

第二本件請求についての判断

一当事者間に争いのない事実

原告ら主張の請求原因(一)の事実(竹男の死亡等)、(二)の事実(竹之進の公務災害認定請求、審査請求及び再審査請求の経由)は当事者間に争いがない。

二公務上災害の判断基準の検討

竹男の発症が脳動脈瘤破裂であること、右疾病が公務に起因する負傷によるものではないことは当事者間に争いがない。

ところで、地公災法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右の負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、かつ、これをもって足る(最判(第二小法廷)昭和五一・一一・一二集民一一九号一八九頁参照)。そして、公務上の災害であることを主張する原告において、この事実と結果との間の相当因果関係を高度の蓋然性により証明する責任、即ち、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度の立証をする責任があると解するのが相当である(最判昭五〇・一〇・二四民集二九巻九号一四一七頁参照)。

被告は、本件のように職員に素因ないし基礎疾病がある場合には、自然的経過によっても発症増悪することがあり得るから、公務との間に相当因果関係をもって発症増悪したといい得るためには、①基礎疾病の発症ないし増悪前に、特に過激または異常な業務に従事して精神的、肉体的負担を生じた事態(いわゆる業務の過重性)が存在すること。

②これらの事態が、その性質及び程度において、基礎疾病の発症を著しく促進し若しくは症状を甚だしく増悪させまたは死期を著しく早めたと医学概念上認められること。

③これらの事態と疾病の発症、増悪との時間的間隔が、医学常識上妥当な限度内にあること。

のいずれもが明らかな場合でなければならないと主張し、

原告は、被災職員に素因ないし基礎疾病がある場合において、公務と発症との間に相当因果関係を認めるためには、諸事情の総合的判断によって、公務が基礎疾病と共働して発病の原因となっているとの関係が認められれば十分である旨主張する。

そこで検討するに、被告主張は結局「発症ないし増悪前の異常な出来事」すなわちアクシデントを要件として要求するものであるが、このようなアクシデントの存在は、相当因果関係の存在を判定するための一要素ではあるけれども、地公災法三一条等が補償の要件として、単に「公務上の死亡」等を挙げるのみで、現行法上、「発症ないし増悪前の異常な出来事」を必要とする規定はないので、被告の主張は実定法上の根拠を欠くものであるのみならず、現行労災補償制度が、沿革的に災害(施設欠陥、天災地変、第三者の行為等)のみにとどまらず、業務上疾病(災害性疾病と職業性疾病)をも併せて補償の対象としていることに照らすと、被災職員に基礎疾患がある場合であっても、その死亡が必ずしもアクシデントによって生じたものであることを要せず、死亡の原因となった負傷ないし疾病と公務との間に相当因果関係が認められる限り「公務上の死亡」と認定すべきであるから、被告の右主張は採用できない。

なお、公務災害と認めるのに必要な相当因果関係は、使用者である地方公共団体自身において、予見していた事情、及び健全な常識と洞察力のある者が認識し得た一切の事情を前提として、公務によって所属職員の疾病または死亡が生じたもので、即ち、公務なければ疾病、死亡がないといえる関係、または、それが公務に内在し又は通常随伴して生ずるものといえる場合など同種の結果発生の客観的可能性を一般的に高める事情にあると判断されることが必要である。

民法の不法行為では、事実上の因果関係と保護範囲ないし額の問題とを区別する必要が生ずるのに対して、地公災法上の死亡、疾病と公務の起因性においては、その保護の範囲ないし額は一定であって、公務起因性が認められる以上、その責任の範囲ないし額が一定率に法定されており、これに差異を設ける余地はない点で、不法行為の事実上の因果関係と異なる面があり、公務起因性の場合には前示のとおり、相当因果関係につき結果発生の客観的可能性の予見ないし予見可能性が必要であると考える。

なお、〈証拠略〉、当裁判所に職務上顕著な事実、弁論の全趣旨によれば、地方公務員の公務災害にも参考にされ、これに準ずるべきものとされている脳血管疾患の公務(業務)上外認定に関する人事院通知、労働省労働基準局長通達が存在し、右通知等は昭和六二年に改正され、国家公務員災害補償法に関しては新指針が、労災法に関しては新基準が出されている。本件において、アクシデントないし災害がないので、公務上外の認定判断をすべきである旨の被告の前示主張もこれに即したものであるといえる。

しかし、その指針の趣旨は、右新指針等に適合する事実のある認定請求について公務(業務)上災害の認定をすべきことを示すものであるが、この新指針等に適合しないことのみによって、公務外認定をすべきことを求めるものとはいえないし、もとより裁判所がこれに拘泥して新指針に該当しないとの一事をもって、公務外認定をすべきものではない。

すなわち、もともと右基準ないし指針は、いずれも行政庁である人事院ないしは労働省が、公務(業務)上外認定を適正、迅速かつ全国統一的に遂行する必要上各疾病の種類に応じて作成した下部行政機関に対する運用の便宜のための基準を示した通達であって、もとより裁判所の判断を拘束するものではない。

しかも、新基準自体において、その(解説)5(3)ロで「この認定基準により判断し難い事案については、本省にりん伺すること」と定め、その第1部「認定基準について」7(3)②で「(業務による)継続的な心理的負荷に対する心理学的・生理学的反応は、個人によって著しい差を有するものであり、継続的な心理的負荷と発症との医学的因果関係も確立していない。したがって、医学的資料とともに、業務による継続的な心理的負荷によって発症したとして請求された事案については、専門的検討を加える必要があるので、本省にりん伺することとしたものである」旨の説明が付されており、とくに、労働省の新基準作成に当たった専門家会議の「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性疾患等の取扱いに関する報告書」において「Ⅳ2今後の検討課題」として、「近年いわゆる業務による諸種の継続的な負荷、中でも心理的負荷と脳血管疾患及び虚血性疾患等の発症との関連性が推測されているが、反面詳細について医学的に未解明の部分があり、現時点では、過重負荷として評価することは困難である。したがって、この分野における医学的知見の収集を図るとともに、個々の事例については、それぞれ専門的検討を加え慎重に判断していく必要がある」旨の報告がされていることが、当裁判所に顕著である。

以上の諸点を考慮すると、右指針等は、もともと行政の適正、迅速処理のための簡易な判定基準に過ぎないものであり、したがって、右指針等を本件の公務上外の判断基準にそのまま使用し、本件はこの指針等に当たらないからといって、直ちに公務起因性を否定すべきものではない。

三竹男の発症と死亡の公務起因性について

竹男の死因が脳動脈瘤破裂であることは当事者間に争いがないが、これが公務に起因したものか否かについて次のとおり、原、被告間に争いがあり、これが本件の中心的争点になっている。

(原告らの主張)

前示請求原因一(三)(6)、被告の主張に対する反論三2(二)記載のとおり、竹男は、前示①の交替制勤務、変則勤務による潜在的反生理的業務負担などに従事してきた職務が過重であったことがその生理的条件に悪影響を与えて脳動脈瘤の形成ないしその破裂の潜在的要因となり、これに、発症当日の施設活用重点訓練による精神的負担、③訓練時の寒冷、及び、④体力錬成のための訓練の駆け足が直接の契機となり脳動脈瘤破裂を発症し死亡したのであるから、公務起因性がある。

(被告の主張)

前示二2(一)(二)の訂正前の請求原因に対する認否、主張に記載のとおり、脳動脈瘤の形成原因は、脳動脈壁に先天的な中膜欠損等の異常という素因があり、これに高血圧、動脈硬化等の後天的因子が加わって形成されるとされている。竹男は脳動脈瘤の素因があり、特別の状況がなくても、いつかどこかで破裂する可能性が常にあった。血圧は特別の事情がなくても変動する。竹男の消防業務、当日の施設活用訓練、駆け足は通常の程度を超えた過激、異常なものではなかったから、公務起因性はない。

この中心的争点である竹男の脳動脈瘤破裂の公務起因性について、以下順次検討する。

1 竹男の経歴

竹男の経歴に関する請求原因(三)(1)の事実は当事者間に争いがない。

2 消防職員の職務

竹男が消防職員であって、消防業務に従事したことは当事者間に争いがない。

〈証拠略〉、当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を併せ考えると次の事実が認められる。

(一) 竹男の従事した職務は、消防業務である。そもそも消防は、「その施設及び人員を活用して、国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに、水火災又は地震等の災害を防除し、及びこれらの災害に因る被害を軽減することを以て、その任務とする」(消防組織法一条)とされているため、「二四時間隔日・拘束勤務」という勤務形態をとっている。

(二) 一般的には、日々の訓練業務は現実の火災を想定しての体力作りや行動訓練で、いつ発生するかもしれない火災に瞬時に対応できるよう予定されており、また、一旦火災が発生すれば、非番か否か、仮眠時間中であるか否か等の日常業務のサイクルとは全く無関係に出動し、現場では自分の持てる極限の力を出して消火活動にあたることが要請されるものであり、冬期における消火活動は、厳寒の中、全身ずぶ濡れになって行なうこともあり得ることであって、体力を大幅に消耗させる場合もあるのであるが、さらに消火活動を終えて署に帰った後も、次の出動に備え、着替え、入浴に優先してホースの積み替え等の作業が要請されることもあり負担の重いものであることは否めない。

(三) 以上のとおり、消防業務は、一般的に、その労働の質・量からみて負担の重い業務であることを認めることができるが、これは消防職員一般についていえるものであって、竹男のみに特有のものではない。

(四) 消防は、常に災害発生に備え、昼夜を問わず二四時間、迅速、正確に対応できる体制が不可欠であり、消防職員の勤務は二四時間拘束勤務体制がとられている。

この二四時間拘束勤務において職員は、朝八時三〇分の始業時から翌朝八時三〇分までの間、災害出動に備え、完全に当局の指揮命令管理下に置かれ、勤務時間とされる一六時間はもちろん、休息、休憩時間であれ、仮眠時間であれ、職員の自由にならず、常に「待機」の状態に置かれている。

しかし、職員の勤務の負担軽減のため設けられている休憩・休息時間あるいは仮眠時間が職員の精神的、身体的負担の軽減に役立っていることも明らかであり、労働から完全に解放されているとはいえなくとも、心身を休める機能は果たしてないものとはいえないものである。

(五) 勤務中は、市内で発生、通報のあったすべての内容が署内全館に放送される体制となっており、職員は常にその放送に注意を払うことが求められ、通報連絡の音が入るたびに、体と心が反応し緊張することを強いられる。とくに、下京消防署では、救急関係の情報も通報される体制となっており、実際には、かなり頻繁に通報連絡が放送されることにより、署内に勤務する限りある程度の緊張状態が続くことになる。また、火災に関する通報連絡も、実際に出動するもののほか、誤報等も含めすべてが通報されるので、実際の火災発生件数より多い数の連絡が署内に放送され、その度に職員は緊張するが、下京署に関係のない通報は受付係員が通報の最初の部分で関係のないことが分かり次第放送を打ち切っており、また、多少とも馴れがあって、職員がこれにより常に緊張し、そのため健康を害するにいたることまでを認めることができない。

(六) 消防業務のうち、警防業務及び救急業務は二四時間隔日勤務となっている。隔日勤務者の勤務形態は、下京消防署においては、朝八時三〇分から翌朝八時三〇分までの二四時間が当番、翌朝八時三〇分から翌々朝八時三〇分までの二四時間が非番で、当番〜非番の当務を繰り返し、五当務して二日の公休(五当務二休日)が基本となっている。

隔日勤務者に対しては、午後一〇時から翌午前七時までの夜間勤務のうち七時間が仮眠時間として与えられている。

しかし、二時間の望楼・受付業務が中途にはいる場合もあり、仮眠が分断されることもある。しかも、仮眠中とはいえ、前記の署内放送が全館に流され、放送の度ごとにその内容を確認することが要求される。そのうえ、その連絡が自己の署内であれば当然起きて対応し、自己の署に隣接した区域での火災発生であれば、火勢の拡大により当然出動が要請されることとなるため、起きて準備し消火栓の位置や道路状況の確認等をして対応することが要請されるが、こうした連絡によって出動準備をしたが結果として出動しなかった場合もあり得る。

したがって、業務に忠実であればあるほど、また勤務のコツを覚えるに至らない勤務年数の少ないものほど、仮眠を十分に活用できないおそれはあるけれども、馴れによってある程度の対応がされてくることもあり、とくに竹男が仮眠時間の活用ができないため悩みを抱いている事実や、同僚職員中に仮眠時間について深刻に悩んでいる者がいた事実もこれを認めるに足る的確な証拠がない。

3 竹男の勤務

原告は、竹男が、他の同僚職員と比較して過重な業務に従事したと主張する。〈証拠略〉、前示当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一) 竹男は、昭和五三年度には、三月に連続六当務、四月に連続八当務、六月に連続七当務、と基本の五当務を超えた極めて例外的な異常な連続当務があった。一二月一九日からは二五日に前半休があり、連続六当務があったことは、これを認めるに足る的確な証拠がない〈証拠略〉。

(二) 五当務二休日の基本的な勤務でさえ人間の生理機能に反するものであるのに、竹男はそれ以上の当務を他の職員と比べて極めて例外的に行なっており、その点に関して注意も受けたが、竹男の都合で希望してそうなったものでもあり、それ以上のことはなく、竹男が、このために強度の疲労の蓄積を来たし、十分な回復を待つことなく身体不調のまま深夜労働を含む交替勤務を続けたため過労状態に陥っていたとの事実を認めることはできない。

(三) 竹男の被災日前三か月間の夜勤の出動回数(一〇回)は、他の消防小隊に比べて多いけれども、これは竹男の所属していた消防小隊全員にいえることであって、竹男のみにいえることではない。

竹男の所属する下京消防署警備第二係第一小隊は、昭和五三年一二月には他の小隊が九ないし一一回の災害出動しかしていないのに比べ、夜間の仮眠時間帯の出動を含め、一か月間に一四回もの多数回の災害出動をした。その上、昭和五四年一月一日以降の二週間の間に六回もの出動があったが、これにより強度の疲労が蓄積されていたと認められる程度のものではなかった。

なお、発症前二週間の夜間出動回数は一回(一月三日)であった。

(四) 竹男の発症前二週間の業務内容は、以下のとおりであるが、このため労働量の顕著な増加があり、業務の過重性が存在したとまでは認めることができない。

発症前二週間の仮眠時間も、現実には六時間ずつ(一月二〜三日は五時間五八分)しかなく、しかも、六回の当務のうち四回までが受付、望楼業務のため仮眠が分断されてはいるが、そのために竹男の疲労が過大になったとまではいえない。

また、昭和五四年一月八日は休憩時間が出火活動のため午後零時二〇分から一時までの四〇分しかなく、削られた二〇分の休憩時間の填補はなされないままであった。しかしながら、これらによる疲労の蓄積が前述の出動による疲労に拍車をかけていたとまではいえない。

また、竹男は、昭和五四年一月一一日は、前日一〇日午前八時三〇分から一一日午前八時三〇分までが本来の当務であったが、一一日は出初式があったので、そのため午前六時から仕事を開始し、午前八時三〇分以降も引き続き業務に就き、午後零時三〇分まで四時間の超過勤務をしたが、職務内容は出初式の後片付けでありとくに負担が重いと認められるものではなかった。

そして、このほか、竹男が一一日には極度の疲労に陥っていたことを認めるに足る的確な証拠がない。

4 休暇取得状況等について

消防職員は一般に交替勤務や出動隊員の確保の必要から随意の日に休暇を取得でき難いことがあるが、竹男の年間を通じた年次休暇の取得は、昭和五三年の場合一五日で、下京消防署の消防職員の平均一五日より多く、それほど差異がなく、休息、休憩時間が短縮されることもあったが、事後にその代替の休息、休憩時間が与えられており、しかも、このように短縮された時間自体も僅かであった。

5 竹男の健康状態

〈証拠略〉に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一) 消防職員の業務は、深夜を含む二四時間隔日勤務であることから、労働安全衛生規則一三条に該当する身体的有害業務とされており、年二回の定期健康診断が義務付けられているところ、下京消防署においては、実際に、X線検査のほか、身長、体重、視力、尿検査、一定年令以上の者や希望者に対する血圧測定が行なわれていた。問題のある者には通知されたが、竹男は血圧が高いと指摘されたことはなかった。

(二) 原告ら指摘の京都市の準則「京都市消防局安全衛生管理規程」が制定されたのは、昭和五六年一二月三日で翌年一月一日から施行されたものであるから、もともとそれ以前に実施された竹男の定期健康診断がこれに違反することはあり得ない。

(三) 竹男は、昭和五〇年秋以後再三にわたり風邪をひき通院治療を受けたこと、昭和五二年暮れに以前一日二〇本程度喫煙していたものを禁煙したこと、昭和五三年ころには飲酒量が減り始め、酒は付き合いに飲む程度で、家庭での晩酌も、気の向いたときにビール一本を飲む程度であったこと、昭和五三年暮れころ、近々に人間ドックに行きたい旨をもらしていたこと、昭和五三年七月ころ眼鏡を交換したこと、昭和五三年秋ころより首、肩のこり、疲労を訴えるようになったこと、発症前一年ころから担当区域内の消防団員との交際もしなくなり、家でごろごろするようになったことなどがうかがわれるけれども、これにより竹男の健康状態に大きな異常が生じ、それが疲労ないしストレスの蓄積を示すものであるとの事実を認めるに足る的確な証拠がない。

(四) 昭和五二年二月二日、竹男は京都第一日赤で外来人間ドックを受診したが、その成績は、身長165.9cm、体重64.1kg、血圧一一〇/七五であって、その他の呼吸器系、循環器系、腎機能検査、消化器系、胆のう検査、肝機能検査などすべてに異常が認められなかった〈証拠略〉。

6 発症当日の状況

〈証拠略〉、当事者間に争いのない事実、弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一) 竹男は、昭和五四年一月一六日は午前八時三〇分から前日からの勤務職員と交替して勤務につき、午前八時三五分ころから約三〇人の署員全員で体力錬成として、準備体操を行ない、消防作業服を着て、同署周囲の道路を駆け足で二周走った(一周約一八〇メートル)。その後正午までは事務室で調査報告書作成などの事務的職務に従事し、正午から一時間の休憩、休息の後、午後一時に、京都市右京区内の日本京都映画株式会社京都撮影所へ向けて出発し、同所で一時三〇分ころから実施された施設活用訓練に参加した。この訓練は単なる日常の訓練ではなく、来たる三月一五日の消防局の各署錬成大会(特別警防訓練効果測定)を目標にした重点訓練であったが、竹男は消火隊ではなく、終始、消火、救助活動を行なう際の訓練現示要員(出火建物の持ち主、付近住民、通行人等を演じ、消防隊員等への通報、現場への誘導等を行なうことを役割とする者を指す)として過ごしたが、途中屋内で暖房のあるところで過ごした時間もあったので、とくに体に異常な負担のかかる状態ではなかった。

(二) 訓練終了後帰署途中、車の荷台に側乗したため、車外で風を受けたが、消防着または防寒着を着用していたことから体に対する特段の負担があったものとは認められない。

(三) 竹男は訓練終了後午後五時三三分ころ帰署し、使用機材の点検を五分間行ない午後五時三八分から休憩に入り、竹男は同僚と同様に食事をとった。休憩時間は通常の六〇分より一七分短い四三分であったが、訓練で疲れ切った身体を十分に休めることができなかったといえるかどうかは分からない。

(四) 竹男は、午後六時一五分ころから下京消防署体力錬成訓練に基づき下京消防署の建物の周囲を走行した。走行開始にあたり五分ほど膝の屈伸、体の前後屈等の準備体操をした。

(五) 竹男が体力錬成である午後の駆け足に参加したのは、同月二日(同署外周道路二周)と当日の二回であった。当日は、通常の二周の五倍である一〇周を走っている。最後の一周一八〇メートルを全力疾走したかどうかについては、目撃した者がなく明確ではないが、先頭を走った辻本茂が終わりあたりでは全力疾走したこと、二番目を走った片山正が一〇周目に「よし行くぞ。」と声を出したうえ全力疾走したが、同人が署の構内に到着後、さほど時間も経過しないうちに竹男が署の構内に入り、「ああしんど」といっていたのを後方に聞いており、そんなには間が空いていないことから竹男も全力疾走に近い状態で一周を走ったのではないかと推認できる。

(六) 同日の気象状況は、天候晴れ時々曇り、気温 正午7.8度 午後三時 7.5度 午後六時 5.5度であった。

7 発症と死亡にいたる経過

〈証拠略〉、弁論の全趣旨によると次の事実を認めることができ、他にこれを覆するに足る証拠がない。

(一) 前認定6(四)(五)のとおり竹男は、午後六時一五分ころから準備体操を経て体力錬成として周走をした後、同署裏の操車場に入ったが、六時三〇分ころ、同僚の職員が竹男が同操車場に入ったところに寝ころんでいるのを発見し、近寄ると嘔吐して大きないびきをかいて眠り始めたので、異常を感じて、救急車に乗せ数人の同僚職員も加わって酸素吸入などの応急措置をしたうえ、約四分後武田病院(京都市下京区木津屋橋通堀川東入油小路町二七七番地)に搬送した。

(二) 竹男は、武田病院搬送時、血圧二三〇/一三〇であって、頻脈あり、呼吸停止が認められ、直ちに酸素吸入の後、挿管を施された。武田隆男医師は蜘蛛膜下出血の疑いと診断し、脳内出血の疑いがあるとして転医させた〈証拠略〉。

翌一七日京都大学医学部附属病院に転院し、脳動脈瘤破裂と診断され、受療中であったが同病院において、手術をしないまま、同日午前一時四七分死亡するに至り、同病院医師中洲敏により、直接の死因を脳動脈瘤破裂と診断された〈証拠略〉。

8 脳動脈瘤形成・破裂の機序

(一)脳動脈瘤形成の機序

〈証拠略〉、当裁判所に顕著な事実、弁論の全趣旨によれば、脳動脈瘤の形成原因は、医学上一般に、脳動脈の血管分岐部に先天的な中膜欠損の異常という素因があり、この素因に血圧、血流の負荷という後天的因子が加わって形成され、嚢状に拡大するといわれる発生学上の一種の奇形を基盤とする疾病であることが大多数で、先天的に発生し自然に成長するものであるとされ、外的要素としての精神的、肉体的疲労等は脳動脈瘤の形成要因として決定的な作用はないといわれる。

もっとも、この先天的脳動脈瘤のほか、細菌性脳動脈瘤、動脈硬化性脳動脈瘤、外傷性脳動脈瘤、梅毒性脳動脈瘤があるが、それらは極めて少数である。

なお、〈証拠略〉によれば、精神的肉体的疲労が脳動脈瘤の形成の誘因となるとの考え方もあることが認められるが、これらは脳動脈瘤形成の実験的な所見ないしその数多くの後天的要因のうちの血行力学的因子に関するひとつの説明と評価しうるものに過ぎないものであり、これによって、精神的肉体的ストレスがあれば脳動脈瘤が形成されるという意味で両者の間に直接的な因果関係があるとの見解が医学的に定着していることを認めるに足る的確な証拠がない。

(二) 脳動脈瘤破裂の機序

前示(一)掲記の各証拠、顕著な事実、弁論の全趣旨によると、脳動脈瘤破裂の機序も、必ずしも明らかではないが、一般に脳動脈瘤の破裂は、時、所を選ばずいつでも起こるともいわれている。

そして、ロックスレイが調査した二二八八の症例の結果によれば、破裂の機会は睡眠中、休息中が三六パーセント、特別の状況というべきものがないときに三二パーセントとなっている。しかし、ロックスレイ自身が、(重量物の)挙上、(身体の)屈曲、情動的にストレスが加わった状態(精神的興奮状態)、性行為、咳漱、排泄(排尿、排便)、手術、分娩などの肉体的、精神的負荷時にも約三〇パーセントが出現していることを明らかにし、「これらの事例では「くも膜下出血」の発症は、「外的な出来事と全く無関係に起こる」と言ってきた事をむしろ否定してるようにおもわれます。というのは、これら「特定の」出来事全てを合わせたとしても、たいていの人にとって、一日二四時間の三分の一をしめることはとうてい考えられないからです。」と述べたうえ、さらに、「ここには、潜在的に重要な三つの要因があると考えられます。すなわち、一つ目は静脈圧に影響を及ぼすバルサス効果(息を止めて腹圧をかける動作)、二つ目は、身体的労作に伴なう動脈血圧の上昇、三つ目は、大脳テントや硬膜などの頭蓋内の固定された他の構造物と、頭脳やウィルス環(頭蓋底にあるところの脳を養う動脈によって形作られた環)との間に構造上のズレが生じる事、などがあげられます。」、「慢性的、ないし急激な血圧上昇を引き起こすような外的因子によって、「この最後の緊急段階」が早められ、促進されると考える事ができます。」と述べている〈証拠略〉。

四検討

前認定三の1竹男の経歴、2消防職員の職務、3竹男の勤務、4休暇取得状況等について、5竹男の健康状態、6発症当日の状況、7発症と死亡にいたる経過、8脳動脈瘤形成・破裂の機序の各事実判断を基礎として、竹男の脳動脈瘤破裂と公務の相当因果関係につき次に検討する。

1  竹男の発症当日以前の勤務と脳動脈瘤の形成

前示の各事実判断に照らすと、竹男の勤務していた消防職員としての日常の業務は精神的肉体的に負担が少なくないとはいえるけれども、(1)それが著しくとくに過激ないし異常であって、これにより竹男は現実に相当な疲労を蓄積していたとまでは認められず、(2)竹男の従前の健康状態に大きな異常はなく、定期健康診断においても、また、昭和五二年二月二日京都第一日赤で受診した外来人間ドックの結果でもすべて異常がなく、血圧は一一〇/七五であっで、極く正常であったのであるから、(3)竹男の脳動脈瘤形成が右日常業務疲労蓄積に起因するとの事実は前示脳動脈瘤の形成の機序に照らしても、たやすくこれを認めることができない。

2  発症当日の職務と脳動脈瘤の破裂

前示の各事実判断に照らすと、発症当日の業務が施設活用訓練に参加し、低い気温の中で業務を行ない、帰署に際しても消防車に側乗し、寒気にさらされたとしても、当日の天候が晴れ時々曇り、気温は正午7.8度、午後三時7.5度、午後六時5.5度であって、極低温ではなかったし、施設活用訓練に参加し休憩時間が短かったとはいえ、それは失火建物の持ち主や通行人等を演ずる現示要員であって、極端な負担を要するものとはいえなかった。しかし、錬成訓錬の駆け足は周外走一〇周がそれなりの身体的な負担であり、自己の体調に合わせて実施できるものであって、競走ではなかったけれども、最後の一周一八〇メートルを全力で走ったものであること、竹男がその駆け足の直後、倒れて嘔吐し、いびきをかいて眠り始めるなど、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の症状を示しており、脳動脈瘤破裂の機序として精神的ストレスなどによる一過性の血圧上昇が考えられるところ、この駆け足のような運動により一過性の血圧上昇が生ずるものであること〈証拠略〉、竹男が倒れた直後搬入された武田病院で、血圧が二三〇/一三〇で高い血圧値を示していたことなどに照らすと、竹男の脳動脈瘤破裂はその直前の体力錬成訓練として行なった駆け足によって生じたものと推認でき、他にこれを覆すに足る証拠がない。

しかしながら、他は前認定のとおり、当時満二五歳の青年男子で、当日までその健康状態に大きな異常がなく、定期健康診断によっても、人間ドックによっても血圧などに異常は発見できなかったのであるから、竹男の本件脳動脈瘤破裂が前認定のとおり劇症型で、発症前に警告症状が発現していなかったというべきであるから、本件において、竹男にすでに脳動脈瘤が形成されており、それが破裂寸前にまで拡大していたことを予見する客観的可能性を見出すことはできない。そして、本件体力錬成訓練による駆け足が、自主的に行なうもので周走回数や速度の指定もなく、訓練参加者は随時、自己の体力、体調に応じてこれを加減し、走行を中止することが自由にできるものであったことに照らすと、その走行前に厳密な身体検査をしてこれを予見すべきものとはいえないし、検証の結果によっても脳動脈瘤破裂の予防のための脳動脈瘤の事前発見方法につき最近若干の先駆的試案が発表されているがこれは未だテストの段階で、その方法が確立していないから、これを発見することは困難である。したがって、竹男の本件脳動脈瘤破裂を事前に使用者である京都市が予見していたとか、またはこれを予見する客観的可能性があったと認めることはできない。

したがって、結局竹男の脳動脈瘤破裂と公務との因果関係に相当性を欠き、その間に相当因果関係を認めるに足る的確な証拠がないから、これに公務起因性があるとは認められない。

五結論

以上のとおり、竹男が地方公務員法四五条所定の公務に起因して脳動脈瘤破裂を発症し、これにより死亡したものとはいえず、地方公務員災害補償法所定の公務上の死亡とはいえないことが明らかである。

よって、竹男の発症、死亡につきこれを公務外の災害と認定した本件処分は相当であって、その取消しを求める原告らの請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉川義春 裁判官菅英昇 裁判官堀内照美)

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